asagao5-11’s diary

300~600字程度で、昔の記憶を記録する

< 読書感想文 >

 小学生の夏休みには必ずと言っていいほど“読書感想文”がつい

くる。定番だ。「またか~」。8月中旬まで手をつけず、もたも

たしている。課題図書、または自由選択、たいてい前者の場合が

が多い。原稿用紙は最低2枚以上、小学生にしては多いほうだと

思う。

 図書館や近くの書店へ行く。めぼしい本を探す。

でも好きな本を探しては時間だけが去る。「あ~やらなあきゃ

」、読んでどう思いましたか?どう感じましたか?鉛筆がなかな

か走らない。まぁこれでいいかと何とぎりぎり31日に予定枚数

をこえホッとして提出。いつもその場しのぎが多い読書感想文。

印象に残った本はほとんどない。

 読書感想文が好きな人は さているのだろうか。

< 小さな車掌さん >

 日曜日の午前、渋谷方面の田園都市線の車内で、3歳くらい?の

男の子とお母さんが手を繋いでいた。

 車内アナウンスが入る。「次は~〇〇でございます」の後、男の

子は続けるように同じアナウンスを復唱する。1つ1つ駅名を言っ

て、まるで覚えたての日本語を話すように ゆっくりたどたどしく

言う。その横でお母さんは日本語を確かめるように「うん、そうね

!」と言っていた。

 二子玉川の車内アナウンスが入る。男の子は続けて、「ふたごた

わわわ~、ふたごたわわわ~でございます。おおいまちせんはおの

りかえです。」すかさず、お母さんは「“たわわわ”じゃなくて、“た

まがわ”ね!ふたごたまがわ」とゆっくり正しく伝えた。

男の子は数回復唱するも「ふたごたわわわ~ふたごたわわわ~」。

「が」が言えなかったのだ。

 そういう私も「スパゲッティ」を「スパゲテー」と言っていまし

た。あはは!

< 青い封書 >

 20年程前にM社の車を新車で購入した。今まで、ディーゼル

に乗っていたので、ガソリン車は振動は少なく乗り心地も良く、腰

痛持ちの私には乗り降りしやすい高さに運転席があった。

 ある日を境に“青い封書”が何回となく毎年来るようになった。点

検のお知らせかな?いやいやリコールの封書であった。例えば、

①走行中にエアコンから火が出る恐れがあります。

②ドアノブが割れる恐れがあります。

③ブレーキが利かなくなる恐れがあります。

まだまだあるのだが、7年乗って計8回封書がきた。

 自分の車にはそんなことは あった!!走行中、ブレーキが利か

ない!その先には踏み切り、頭真っ白とは言ったもので、パニック

になった。とっさの判断は、4歳くらいの時に父親とドライブ中に

言われた一言だった。

「お父さんに万が一何かあったらこのレバー(サイドブレーキ)を

思いっきり引きなさい、車は止まるから」。

サイドブレーキを思いっきり引いた!!”

車は横滑りしながらどうにか停止した。そしてギアをP(パーキング

)にいれ、エンジンを切った。

だが、車は道路の真ん中、左に寄せるためエンジンをかけた。そし

て、ギアをD(ドライブ)に入れてサイドブレーキを下ろした途端
急発進!!ブレーキが利かないので再度サイドブレーキを引いた。

恐ろしい。どうにかして車を左に寄せなければ・・・。

パワステも利かないので、オモステとサイドブレーキを駆使しなが

ら何度も何度も切り返しをしながら路側帯に車を寄せた。

 ディーラーに電話を入れ引き取りに来てもらった。代車を用意し

てくれたが、思わず、「この車、止まりますよね?」と聞いてしま

った。原因は、ガスケットの破損だと言っていた。

 これ以来、車そのものに乗らなくなり、売却した。

メーカーは利益優先より、人命優先に車を作ってほしいです。

< 初めてのウソ >

 まだ幼稚園くらいだったか、夜中におもらしをした。パンツが冷

たくて夜中に起きた。母に見つからないように、そぉ~っと・・・

隣の部屋まで移動した。箪笥の一番下の引き出しを引いた。真っ白

なブリーフを出して、冷たくなったパンツを脱いで引き出しの奥へ

突っ込んだ。いや隠した。独り言「(これで大丈夫)」と言って、

布団へ戻った。(おもらし、ばれてはならぬ)

 翌日の夕方、母が洗濯物を取り込み、たたんでしまう。

母:「ん?濡れている!ちょっと、おもらししたでしょ!!」

私:「(・・・・)」

母:「何でわからないように奥へしまうのよ!汚いでしょ!!」

私:「僕じゃないよ」

母:「じゃ誰がやったのよ!!」

私:「(・・・・)」

母:「まわりのパンツも濡れてくるじゃない!!」

  「おもらししたらパンツは洗濯機に入れてちょうだい!!」

  「約束してね」

私:「(・・・・)」

< 妹 誕生前の出来事 >

 妹が生まれる前、祖父母宅へ母と行く。

毎晩風呂に入っては、母のお腹(妹がこの世に出てくるスタンバイ

中)のてっぺんから固形石鹸を滑らせて3歳の私はケラケラ笑って

いた。

あまりに長く母のお腹で遊んでいるから真冬だし「風邪を引くから

もうおしまい」と散々言われた。

湯舟に入ると角に三角形の椅子があり、子供の私はそこが指定席。

大人同様に入ると溺れるのだ。実際溺れかけた。

私が風呂場から出ると祖母がバスタオルを持って待っててくれまし

た。身体全体を拭いてくれて、パンツにパジャマ、ガウンを着せて

祖父のいる和室へ走っていった。「(風呂から)出たよ~」。

< 月 500時間労働 >

 20代は働いた。朝から晩まで1日18時間程。睡眠3時間半。

休みは月2日、多くて3日。人員不足は毎度のこと。終業後数時間

後には出勤だから家に帰る時間がもったいないので、簡易式キャン

ピングカーを購入。8ナンバー取得へ。

 先輩に「この会社には労働基準法なんてないから気にするな!」

とあっさりと言われた。自分の腕が上達するならと太陽見ない生活

を続けた。彼女には会えない日が続き、ふられた。

 数年後、本社に異動になった。今度は違う先輩から言われた。

「ここ2階にいる老若男女、ほぼ✖1だから、中には✖2もいるから」

「店も本部も一緒。朝早く、夜遅く、子供からお父さんと呼ばれず

“おじちゃん”誰?」と。マジか!?

役員の方々も午前9時就業開始なのにすでに7時半には全員揃ってい

る。どんな会社だ!!

私が退職して数年後、何人かが倒れた。あんな働き方してたら死んじ

ゃう。そういう私も過労で4カ月休んだ。担当医師から「今抱えてい

る売上、原価、利益、人のこと、みんなストレスだから忘れて!」と。

生産性が悪すぎる。長く働けばいいということではない。

会社は、働く人と働く人の家族、お取引先の幸せ願ってますか?

企業は人なり。

< 何時に帰ってくるんだっけ? >

小学校に入り、友達もでき、楽しくなってきた。

私:「ただいま~」

母:「おかえりなさい」

私:「(バタバタしている、ランドセルを放り投げて、遊びに行く準備をしている)」

母:「明日の用意をしてから 遊びに行きなさい!」

私:「(・・・) 明日の朝やればいいじゃん」

母:「明日の朝、何かが足りなかったらどうするの?」

私:「(何にもないよ と思っていたら文房具に行かなきゃいけないことがわかる)」

  「文房具屋さんに行ってくるからお金頂戴」

母:「ほら~ あったじゃない」

文房具屋から帰宅して、明日の教科書、ノートなどを準備し、読み上げ確認して遊びに行く。

母:「何時に帰ってくるんだっけ?」

私:「(小さい声で)4時半(16時半)」

母:「そうね、4時半、守ってね」

私:「(・・・) はえーなーとは言えず、返答せず遊びに行った」

内心、6時(18時)にしてほしかった。

 小学校1、2年で帰宅時間“4時半”って早いんじゃないかな~。