< 誰か来るの? >
住宅公団に住んでいた時、母と私の会話、まだ3歳か4歳か・・・
母:「お部屋きれいにしなさい!」
「狭い部屋なんだから、出したら出しっぱなしにしない!」
「しまえないなら、はじめから出さなきゃいいのに」
「もう一度言うわよ!」
「きれいにしなさい!!」
私:「誰か来るの?」
母:「誰が来るからきれいにするんじゃないの!!」
「ちらかってて気持ち悪くないの?」
私:「(・・・)」
母:「足の踏み場ないじゃないの~」
私:「(・・・)(少しずつ片付ける、ほんと少しずつ)」
きれいになっていくと
母:「ほら~、きれいになったじゃない」
「おもちゃ出すなら少しずつ、使ったらしまう」
「約束してちょうだい!!」
私:「(・・・)(約束なんてできない ふてくされた顔)」
< ゴキブリ潰す >
住宅公団に住んでいた時のこと、母が仲の良いおば様と玄関口で
長話しをしていた。
秋めいた気候だったのを覚えている。夕方までは丁度良い気候だ
ったが、夕方5時を過ぎると少し肌寒くなっていた。でも話しは続
いている。
夕食ごはん作りは止まったままだ。
おば様:「そろそろ帰って夕食の用意しなきゃね、長くなってごめ
んなさい」
とそこへ、でっかいゴキブリがギラギラ輝かせて玄関から我が家に
入ってきた。素早い動き!!
私は母の足につかまりおどおどし何もできずにいた。
おば様はすかさずしゃがんで、一番近くにあった父の革靴をつかみ
、ゴキブリを瞬殺!!
おば様:「あら~!ごめんなさい、ご主人の靴で・・・」
母 :「・・・・・・」
私 :「・・・・・・」
ゴキブリで長話しは終わり、おば様は帰っていった。
父の革靴の底にはぺしゃんこになったゴキブリがいた。
私 :「これ、お父さんには言えないよ~」
母 :「・・・・・・」
< あれよ!あれ! >
日常会話の中で
「あれよ!あれ!」「それだよ!それ!」など
何とも抽象的すぎるやりとりが我が家にはある。
私の母と母の友人はよく使う。頭ではわかっている。言葉として出
てこない。人の顔は思い出せているのに名前が出てこない。
年齢のせい?たまたま?いやいや思い出せないだけ。
母:「あれよ!あれ!わからないの~」
私:「“あれ”じゃわかならいよ!具体的に言ってよ~」
母:「え~わからないの~、あれよ~」
会話中ヒントらしきものが毎度一切でてこない。
私:「だからさ~」(会話の前後で「あれ」を解読するが)
ヒントがないもんだから、会話はそこで終了!!
どのご家庭も抽象的な言葉のやりとりで会話が成立しているのか
、そこから会話が広がるのか終わるのか、聞いてみたい。
< どっち向いてるの? >
玄関で、母が、「どっち向いているの?」と言う。
私:「ん?」
母:「ん?じゃないでしょ!」
「どっち向いているの?くーつ(靴)」
私:「こっち」
母:「逆さ向いて履くの?」
私:「(考え)(右手で爪先を進行方向に履きやすく変える)」
母:「そう、そうしたほうが次履きやすいよね!」
「わざわざ逆さ向いて履くの面倒でしょ」
「お友達の家へ遊びに行ったらやってね」
私:「(頷く)」
あれから半世紀以上が経ち、集会所や旅館などで靴やスリッパなど
の逆向きを見ると、今でも気になるし正したくなる。
幼少時の躾って大事だな~。
< 駅そばの味の記憶 >
30年程前の記憶である。
家に帰るまで我慢できない。腹が空いた。軽くでもいいから何か
食べて帰りたい。
入り、天ぷらそばを注文。できあがりの声がかかった。待って
ました!
まず、つゆをすする。「ん? ん?!」なんじゃこりゃ?!
つゆが薄い!何かの間違いか?もう一度すする、やはり薄い。店員
に言おうと思ったが、母の言葉を思い出した。「東京の味は濃い、
大阪は薄口よ あんたは東京育ちだから濃い口に慣れているのよ」
その通りだった。あまりに薄いので、醤油を2~3周かけた。
薄口天ぷらそばだけでは足らず、いなりを追加した。どうにか夕食
までの足しにはなった。
< “気をつけて” というおまじない >
学生時代、バイクツーリング中に事故を起こした。よくある右直
事故。時速40km/h前後だと記憶しているが、右折してきた乗用車
に突っ込んだ!頭から車のフロントガラスへ突っ込んでいった。今
だにあの記憶と事故までのスローモーションが映像で頭に残る。
全身打撲、むち打ちだけはまのがれたが身体はボロボロだった。
バイク屋の店長に伝えたら、「ほらぁ~、気をつけてって言った
じゃん」と言われた。自分の不注意もある。相手の“行けるだろう”
という強引、過信もある。
私の打撲は酷かった。通常であれば、3日バンドエイドした箇所は
被れ、痒くなるのに、この事故では自分では見えない首後ろから背
中、腰回り臀部、腿裏、足首まで紫色いや黒に変り、湿布を半年貼
っても被れず、腫れが引かなかった。いつ正常に戻るんだ?
出発前、両親から「気をつけて」、バイク屋の店長にも「気をつ
けて」と言われ、自分でも「気をつけて行くぞ」と思っていたが、
気をつけられなかった。
何度も何度も口ずさんで“暗示”をかけないとな~と思いました。
この事故で一度バイクを降り、また数年後に復活。より高いレベ
出発時の暗示、到着後のお礼(無事到着しました)を続けました。
無事行って帰ってくるのは当たり前、その当たり前を継続できるよ
うこれからも魔法の暗示をかけて走りたいと思います。
< 千頭で聞いた汽笛は999? >
博物館でしか観たことがなかったSLを大井川鐡道千頭駅で見た。
小学生から大人、鉄道マニアの人まで人だかりは凄い。さすが、
現役で走っているだけある。迫力満点だ。
先頭に乗れば(乗客は乗れないが)、汽車に乗っている感満載だ
が、客車はあの直角に座る椅子(ボックスシート)のようだ。
昔の東海道線と同じだ。長距離乗車していると腰とお尻が痛くな
ってくる。私の父は学生時代に東京から九州博多まで、汽車で行
ったという話を聞いたことがある。朝から晩まで、ひたすら乗っ
て、トンネルに入る時は車内に煙が入らないよう窓を閉めたよう
だ。扇風機はない、椅子はボックスシート、「背中は痛くなる、
お尻も痛くなってくるから、時々お尻をずらした」と。新幹線
なんぞない時代。朝から晩まで乗っていたと言っていたが、果た
して何時間乗っていたのだろう。
蒸気機関車の煙、乗客よりも周辺の家々に迷惑がかからないのか、
洗濯物に煙は付着しないのか、気になってしまう。
話は変わるが、映画やテレビで放映されていた“銀河鉄道999”
この番組にはかなりはまった。メーテルと鉄郎の旅物語。
大井川鐡道のSLの汽笛を聞いて、「あっ!!999だ!」と即座
に思った。
「千頭に999が停車している!」
「メーテルと鉄郎がいる!」
マンガと現実が交錯した瞬間だった。
しかし現実は線路は地上のみ(当たり前)、メーテル、鉄郎はいな
い。汽笛だけが999だった。