asagao5-11’s diary

300~600字程度で、昔の記憶を記録する

< 誰か来るの? >

 住宅公団に住んでいた時、母と私の会話、まだ3歳か4歳か・・・

 

母:「お部屋きれいにしなさい!」

  「狭い部屋なんだから、出したら出しっぱなしにしない!」

  「しまえないなら、はじめから出さなきゃいいのに」

  「もう一度言うわよ!」

  「きれいにしなさい!!」

私:「誰か来るの?」

母:「誰が来るからきれいにするんじゃないの!!」

  「ちらかってて気持ち悪くないの?」

私:「(・・・)」

母:「足の踏み場ないじゃないの~」

私:「(・・・)(少しずつ片付ける、ほんと少しずつ)」

きれいになっていくと

母:「ほら~、きれいになったじゃない」

  「おもちゃ出すなら少しずつ、使ったらしまう」

  「約束してちょうだい!!」

私:「(・・・)(約束なんてできない ふてくされた顔)」

< ゴキブリ潰す >

 住宅公団に住んでいた時のこと、母が仲の良いおば様と玄関口で

長話しをしていた。

 秋めいた気候だったのを覚えている。夕方までは丁度良い気候だ

ったが、夕方5時を過ぎると少し肌寒くなっていた。でも話しは続

いている。

 夕食ごはん作りは止まったままだ。

おば様:「そろそろ帰って夕食の用意しなきゃね、長くなってごめ

    んなさい」

とそこへ、でっかいゴキブリがギラギラ輝かせて玄関から我が家に

入ってきた。素早い動き!!

私は母の足につかまりおどおどし何もできずにいた。

おば様はすかさずしゃがんで、一番近くにあった父の革靴をつかみ

、ゴキブリを瞬殺!!

おば様:「あら~!ごめんなさい、ご主人の靴で・・・」

母  :「・・・・・・」

私  :「・・・・・・」

 

ゴキブリで長話しは終わり、おば様は帰っていった。

父の革靴の底にはぺしゃんこになったゴキブリがいた。

私  :「これ、お父さんには言えないよ~」

母  :「・・・・・・」

 

< あれよ!あれ! >

  日常会話の中で

「あれよ!あれ!」「それだよ!それ!」など

何とも抽象的すぎるやりとりが我が家にはある。

私の母と母の友人はよく使う。頭ではわかっている。言葉として出

てこない。人の顔は思い出せているのに名前が出てこない。

年齢のせい?たまたま?いやいや思い出せないだけ。

母:「あれよ!あれ!わからないの~」

私:「“あれ”じゃわかならいよ!具体的に言ってよ~」

母:「え~わからないの~、あれよ~」

会話中ヒントらしきものが毎度一切でてこない。

私:「だからさ~」(会話の前後で「あれ」を解読するが)

ヒントがないもんだから、会話はそこで終了!!

 

 どのご家庭も抽象的な言葉のやりとりで会話が成立しているのか

、そこから会話が広がるのか終わるのか、聞いてみたい。

 

< どっち向いてるの? >

 玄関で、母が、「どっち向いているの?」と言う。

私:「ん?」

母:「ん?じゃないでしょ!」

  「どっち向いているの?くーつ(靴)」

私:「こっち」

母:「逆さ向いて履くの?」

私:「(考え)(右手で爪先を進行方向に履きやすく変える)」

母:「そう、そうしたほうが次履きやすいよね!」

  「わざわざ逆さ向いて履くの面倒でしょ」

  「お友達の家へ遊びに行ったらやってね」

私:「(頷く)」

 

 あれから半世紀以上が経ち、集会所や旅館などで靴やスリッパなど

の逆向きを見ると、今でも気になるし正したくなる。

幼少時の躾って大事だな~。

 

< 駅そばの味の記憶 >

 30年程前の記憶である。 

 家に帰るまで我慢できない。腹が空いた。軽くでもいいから何か

食べて帰りたい。

 阪急神戸線塚口駅の上りホームにそのそば屋はあった。すかさず

入り、天ぷらそばを注文。できあがりの声がかかった。待って

ました!

まず、つゆをすする。「ん? ん?!」なんじゃこりゃ?!

つゆが薄い!何かの間違いか?もう一度すする、やはり薄い。店員

に言おうと思ったが、母の言葉を思い出した。「東京の味は濃い、

大阪は薄口よ あんたは東京育ちだから濃い口に慣れているのよ」

その通りだった。あまりに薄いので、醤油を2~3周かけた。

薄口天ぷらそばだけでは足らず、いなりを追加した。どうにか夕食

までの足しにはなった。

 

 

 

< “気をつけて” というおまじない >

 学生時代、バイクツーリング中に事故を起こした。よくある右直

事故。時速40km/h前後だと記憶しているが、右折してきた乗用車

に突っ込んだ!頭から車のフロントガラスへ突っ込んでいった。今

だにあの記憶と事故までのスローモーションが映像で頭に残る。

全身打撲、むち打ちだけはまのがれたが身体はボロボロだった。

 バイク屋の店長に伝えたら、「ほらぁ~、気をつけてって言った

じゃん」と言われた。自分の不注意もある。相手の“行けるだろう”

という強引、過信もある。

私の打撲は酷かった。通常であれば、3日バンドエイドした箇所は

被れ、痒くなるのに、この事故では自分では見えない首後ろから背

中、腰回り臀部、腿裏、足首まで紫色いや黒に変り、湿布を半年貼

っても被れず、腫れが引かなかった。いつ正常に戻るんだ?

 出発前、両親から「気をつけて」、バイク屋の店長にも「気をつ

けて」と言われ、自分でも「気をつけて行くぞ」と思っていたが、

気をつけられなかった。

何度も何度も口ずさんで“暗示”をかけないとな~と思いました。

 この事故で一度バイクを降り、また数年後に復活。より高いレベ

限定解除をしてヤマハのバイクに乗ってきました。

 出発時の暗示、到着後のお礼(無事到着しました)を続けました。

無事行って帰ってくるのは当たり前、その当たり前を継続できるよ

うこれからも魔法の暗示をかけて走りたいと思います。

< 千頭で聞いた汽笛は999? >

 博物館でしか観たことがなかったSLを大井川鐡道千頭駅で見た。

小学生から大人、鉄道マニアの人まで人だかりは凄い。さすが、

現役で走っているだけある。迫力満点だ。

先頭に乗れば(乗客は乗れないが)、汽車に乗っている感満載だ

が、客車はあの直角に座る椅子(ボックスシート)のようだ。

昔の東海道線と同じだ。長距離乗車していると腰とお尻が痛くな

ってくる。私の父は学生時代に東京から九州博多まで、汽車で行

ったという話を聞いたことがある。朝から晩まで、ひたすら乗っ

て、トンネルに入る時は車内に煙が入らないよう窓を閉めたよう

だ。扇風機はない、椅子はボックスシート、「背中は痛くなる、

お尻も痛くなってくるから、時々お尻をずらした」と。新幹線

なんぞない時代。朝から晩まで乗っていたと言っていたが、果た

して何時間乗っていたのだろう。

 蒸気機関車の煙、乗客よりも周辺の家々に迷惑がかからないのか、

洗濯物に煙は付着しないのか、気になってしまう。

 話は変わるが、映画やテレビで放映されていた“銀河鉄道999”

この番組にはかなりはまった。メーテルと鉄郎の旅物語。

大井川鐡道のSLの汽笛を聞いて、「あっ!!999だ!」と即座

に思った。

千頭に999が停車している!」

メーテルと鉄郎がいる!」

マンガと現実が交錯した瞬間だった。

しかし現実は線路は地上のみ(当たり前)、メーテル、鉄郎はいな

い。汽笛だけが999だった。