asagao5-11’s diary

300~600字程度で、昔の記憶を記録する

< 思い出す 朝の日本茶とコーヒー >

 現在、朝4時起き。朝一番にすることは、にがりを入れたお水を

500cc飲む。これは便通快便のため。そしてあっつい日本茶

飲む。濃いのを好み、茶葉は静岡の川根茶。

 つい最近まで20年以上コーヒーを飲んでいた。ミルクや砂糖は

入れずブラックで1日3~5杯飲む。それが今 日本茶に戻った。

 今、日本茶を飲むと 働き始めた頃の出勤前にあっつい日本茶

飲んでいたことを思い出す。

眠いから少しでも多く寝ていたい朝、ギリギリまで寝ている時は

あっつい日本茶を入れ目を覚ます。時間が多少ある時は、前日の夕

食の具沢山味噌汁を飲む。時間は今と似て朝3時だ。

 今、コーヒーは週に1度か2度しか飲まないが、思い出すことは 

なぜだか20年以上毎日飲んでいたコーヒーのことよりも、田舎の

祖父母の朝食シーンだ。お線香を焚いて、トースターでパンを焼い

て、コーヒーを淹れる。この3つが混ざりあった香りが何とも落ち

着く。今、実家がその思い出してくれる香りに浸れる唯一の場所だ。

 私にとっては 日本茶もコーヒーも大切な飲み物。前者は川根茶、

後者は中深煎りのエチオピアがいいな~。

 

< 「誰?」じゃないでしょ! >

 母が電話で誰かと話している。笑ってる。話が長い。誰だろう?

外で私の知らない女性と母が喋っている。誰だろう?

ピンポーン、インターホンが鳴る。玄関口で誰かと話しをしている

母、セールスマン?勧誘?近所のおばさん?知らない人がたくさん

いる。1日に何人も来る時もある。誰も来ないこともある。

私が母に、「だぁ~れ~?」と聞くと、

母は、「誰?じゃないでしょ?」

   「どなたですか?」

   「どなたさまですか?」

と言い直しを求められる。

母は、「だぁ~れ~では、聞いた本人が良い気持ちにならないでし

   ょ」

私は、「ふ~ん」と言ったが

かしこまった言い方が面倒で、もう聞くのを止めた。

< 「誰?」じゃないでしょ! >

 母が電話で誰かと話している。笑ってる。話が長い。誰だろう?

外で私の知らない女性と母が喋っている。誰だろう?

ピンポーン、インターホンが鳴る。玄関口で誰かと話しをしている

母、セールスマン?勧誘?近所のおばさん?知らない人がたくさん

いる。1日に何人も来る時もある。誰も来ないこともある。

私が母に、「だぁ~れ~?」と聞くと、

母は、「誰?じゃないでしょ?」

   「どなたですか?」

   「どなたさまですか?」

と言い直しを求められる。

母は、「だぁ~れ~では、聞いた本人が良い気持ちにならないでし

   ょ」

私は、「ふ~ん」と言ったが

かしこまった言い方が面倒で、もう聞くのを止めた。

< 挟んだ!! >

 3歳か4歳か、まだ幼稚園に上がる前の記憶。

漏れそうでトイレへ行く。

立ち小便。

私:「あ~出たぁ~(スッキリ)」

  (チャックを上げた、その時!)

  「いて~!いて~!いてっ!」

  (上げているチャックにちん〇んの皮が挟まった!!)

  (もう自分ではお手上げ状態)

母:「どうしたの?」

私:「チャックにちん〇んの皮が挟まった!!」

  (結構絡んでた)

  「取って~!」

母:「え~!自分で取りなさい」

私:「いたい!いたい!」

  (両手をバタバタさせてた)

母:(半分笑いながら 私の痛い声を聞きながらチャックとちん〇

  んと格闘)

  「取れた!!」

私:「ふ~」

母:「ふ~じゃないわよ!ちゃんと下向いてちん〇ん入れてからチ

  ャックを上げないと、焦らなくていいんだから」

私:(痛みはどこへ消えたかにように、また遊びに行った)

< 懐のたばこ >

 父方の祖父のお見舞いに行った。場所は伊豆だったような・・。

景色の良い高原が広がる場所に病院があったと記憶する。

 病室に入った。おじいちゃんがいない。面会スペース、トイレ、

売店等へ行くが見当たらない。

母に、「おじいちゃんいない」と言ったら、

母は「トイレじゃないかしら?」と言う。

 再度トイレへ。大便用の一つに開閉口が“赤色”になっていた。物

音はしない。でも赤色。ちょっと怖かった。(他の誰かではないか

、倒れていたらどうしよう等)とトイレの壁の上段まで力づくで(

懸垂するかのように)上がってトイレ内を見た。

おじいちゃんが寝ていた。大きな口を開いて!!

私:「なんだ~、こんな所で寝て~、いないからびっくりした、こ

  こで何かあったのかと思っちゃったよ~、おじいちゃん起きて

  ~!」

大きなギョロットした目、

祖父:「お~、よく来たな~」

 

 病室に入る。

おじいちゃんは母にパジャマの内側に小さなポケットを作ってほし

いと頼んだ。母は持ち合わせていた針と糸で内ポケットを作り縫っ

た。

何を入れるかと思ったら、“たばこ”

私:「え~たばこ~!!」

祖父:「財布も入る」

私:「ダメだよ~」

祖父:「ばれやしない、大丈夫大丈夫」

 引き出しから小銭入れをだし、おじいちゃんは私に「いくら欲し

い」と言ってきた。

私は母の顔を見た。

母:「おじいちゃんがいくら欲しいと言っているから、あなたの欲

  しい金額を言いなさい」

私:「(もじもじして)500円」と言った。

母:「500円でいいの?」

私:「(頷く)」

祖父:「そんなんでいいのか?」

私:「(1万円なんて言えない。お小遣いくらいが丁度いい)」

500円札を頂く。

 

 賄賂成立!!

< 私とメガネ >

 目は一度悪くなると元には戻らない。

3歳か4歳の時、

母:「絵本と目を30cm離しなさい、目が悪くなっちゃうわよ!」

私:「目は2つあるから大丈夫」

母:「そういうことを言ってるんじゃないの」

 真剣になるとどうしても見ているもの、書いているものに近づこう

と当時三頭身であった私の頭は机上に近くなる。

 母が木の物差しを持ってきた。机上と私のおでこに30cm物差し

を挟んだ。

母:「物差しが倒れたら頭が絵本に近いか、居眠りしているかのどち

  らかだからね!」

私:「こんなに離すの~、遠い~」

母:「姿勢は良くなるし、目は悪くならないし、言うことなし」

 

 20歳からメガネをかけ始め、30歳からイワキのアイメトリクス

を愛用している。フィット感が心地よく、ずれにくい。汗をかいても

ずり落ちてくるメガネを人差し指で上げる必要性もない。

 母の言うことを効かなかった結果、メガネをかけることになってし

まったが、今はメガネのない生活はありえない。

昔、CMで「メガネは顔の一部です」と言っていたが、その通りだ。

 さぁ本格的な老眼鏡が必要になってきた。メガネはメガネだけど老

眼鏡。乱視と近視でとても疲れやすい目だが、そんな両方を支えてく

れる遠近両用メガネを探しにいかなければなぁ~。

< 湯舟に浸かって100数える >

 人生半世紀を過ぎた。

身体は冷やすより温めたほうがいいのだが、湯舟に浸かることが少

なくなり、シャワーを浴びて終わらせることが多い。シャワーは身

体を冷やすことを分かっているが、時間短縮のためシャワーを選ぶ。

ちょっと寒い、寒気がする、今日は疲れたと感じた時は迷わず湯を

張る。熱い湯でのぼせて大けがした経験上、熱くはしない。時々、

温度チェックする。

 今になっても湯舟に浸かる時は自然と数を数える自分にふと気づ

く。い~ち、に~い、さ~ん、100まで数える。身体が温まったの

を数を数えて判断する。100が一つの目安。

 住宅公団に住んでいた幼少時代、風呂は父と妹と3人で入る。お

しゃべりしながら、笑いながら、身体や頭を洗う。最後に3人湯舟

に浸かって100まで数える。

父は私や妹の肩に手を当てて身体の温かさをチェックする。祖父の

時は唇を肩につけてチェックする。

風呂を出ると脱衣場で母がバスタオルを持って待ち構えている。風

邪を引かないようにすばやく拭く。

 100まで数えて風邪を引くことはない。これからも100まで数えて

身体の芯まで温めていこうと思う。