asagao5-11’s diary

300~600字程度で、昔の記憶を記録する

< 移住してまもなく1年 >

 東京を去ってそろそろ1年が経つ。東京はホント人が多い、ビル

ばかり。夏は夏の暑さなのか、それとも室外機から出る熱風が夏

なのかわからないくらい暑い。アスファルトからくる照り返しも

強く暑い。

 百貨店に入る。「あ~涼しい、汗が引く~」と言いながら

うろうろする。いつのまにか汗がひき、身体は慣れていく。あま

り居すぎるとカーディガンが必要になってくる。そろそろ外へ出

ようか・・・。モワッとした空気が1階出入り口付近に漂ってい

る。カーディガンはいらなくなり、体温が急激に上がる。「うお

~、なんじゃこりゃ~」ほどなくして汗だくに。

 住む場所が決まり山の中へ引っ越した。緑深く、少ない人口、

若者はいない。とっても空気はいい。澄んでいる。朝一番に外へ

出る。そこには懐かしい匂いがあった。小学校にときに行ったキ

ャンプ場の朝の匂いだ。何度も何度も大きく吸った。おいしい。

東京では何を吸っていたんだろう。山からのエネルギーは絶大で

身体が浄化されていく。

人は温かく、困ったことがあれば助けてくれる。個人商店しかな

いが、レジではついつい話込んでしまう方がほどんど。田舎なら

ではの光景だ。こんなにゆっくりした生活は久しぶりである。

時間の流れも東京とは違い、私の性格は田舎向きだ。のんびりし

たい、せかせか働きたくない。居心地がよく満足している。

 在宅勤務が進んでいる昨今、田舎暮らしをしながら仕事をする

のも環境が変わって楽しめると思う。

 

≪ ちんたらちんたらして ≫

「もっとちゃんとしなさい❗️」
幼少の頃、毎日のように母に言われた。自分では普通なのに世間とはかなりずれているようだ。
自分なりにちょっと早くしてちょうどいい。
でもそれを継続はできず、いつもの私のペースに戻る。戻るとまた母から言われる。
昔、祖母にも言われた。「あんたは人の倍、いやそれ以上やってやっと普通だから」
どうしたら普通になれるのか?半世紀以上たっても変わらない毎日だ。もうこれが私だ❗️と伝えていくしかないな。

〈 新聞配達 〉

夏のラジオ体操が始まる前のまだ早い時間帯、数段飛ばしで団地の5階までかけ上がるお兄さんをよく見かけた。
自転車の荷台には大量の新聞、スタンドをかけるだけでも重さで不安定なのに素早くかける。
そして必要な部数を取って、吐息と汗を飛ばしながら足音はバタバタではなく、軽やかに、フワッと跳躍を活かした二段跳びだった。
幼少時の私には、その素早さを見て"忍者"みたいと思った。「もう4階?はえ~‼️」無駄な動きはない。どこのお宅に投函するかもすでに把握済み。
夕刊は5階まで上がることなく、1階の集合ポストに入れるだけ。
朝の張り詰めた緊張感はなく、時々楽しそうに住人のおばさんと談笑している姿もあった。
夕刊に多いことだが、"手渡し"で受け取った時の紙の匂いがなんとも言えずホッとする。
自分一人では到底集めきれないその日の新鮮な情報が「今、来た❗️」と思う瞬間がとても好きだ。

みずほ銀 ATMの障害から見えること

またか‼️ これ3度目だ。システム障害だけの問題か?通帳やカードが吸い込まれたまま戻らない。これは都市伝説で囁かれている数年後の"預金封鎖"を想定したシュミレーションをやっているようにしか見えない。
通帳やカードは、本当は返したくないんじゃないか?返されなくなるんじゃないか?客側の手元に何も残らなければ、証拠もない。銀行側が客情報を吸いとってしまえば、ある預金はとりあえず銀行に入る。
コンビニのATMは一部使用できるできないの色分けをしているかのよう。
店員はいないし、電話には出ないし、対応が酷すぎる。サービス業でしょ。
3度目の正直はなく、2度あることは3度あった❗️次も またその次も? 勘弁してほしい。私の預金は私の物、いや銀行のもの? いやいずれは政府のもの?

こどもの国線周辺

22年前までこどもの国線を使って通勤していた。車両は1両編成。扇風機はついていなく暑い夏は窓を開けて自然の風を入れていた。
当時は、始発朝8時10分、終電16時30分だったと記憶している。乗りたい時間に電車がなく、まさに"こども"のための電車、明るいうちに乗って帰ってくる。うそのようなホントの話
だ。
小学校2年生の時、遠足はこどもの国だった。なぜか防空壕や薬莢が散らばっていて、土の下から煙突っぽいものがたくさん突き出ていた。ふるーい倉庫がたくさん連なっていた。
最近になって調べたら、戦時中"田奈弾薬倉庫"として使われていたようだ。こどもの国駅よりもさらに奥に運ばれていたと記載があった。
昔、こどもの国線の西側は山だった。今は山は切り崩され、宅地造成されたくさんの住宅や小学校、スーパーができている。当時は真っ暗で電灯はポツンポツンしかなく怖い道だった。
民家があり、小川がありよくザリガニを取った。その周辺は"マムシ谷"と呼ばれておりマムシあり、タヌキあり、誰だかわからんがぶっとい檻に"寅"を飼っていた人までいた。こんなところで‼️動物園に持っていけよ。
山が崩された後、山が住居の動物は隣の町田市の住宅街に移動した話を聞いた。

< 地方鉄道の収入源 >

 最寄りの駅から出発する電車。1日数本しかない。2時間又は

2時間半に1本。

いつも車内の1車両の乗客は冬場だと1~2人、夏場は観光シー

ズンで、それでも10人くらい。採算は取れていない。

 この本数では電車の時刻に合わせて1日のスケジュールをつく

らないといけないとなると、どうしても利便性の良い車に頼らざ

るをえない。

 昔、東京から南へ1000キロにある小笠原諸島父島へ行

った。観光客は正規価格だが、島民は乗船料金が半額だそうだ。

時々しか内地へは行けないが、島民には助かるし、運航する会社

も収入源は2つになる。

 田舎の電車とはいえ、観光電車と庶民の足としての利便性を考

えてほしいが、そもそも人口が少ないよな。

< でっぱり >

 この“でっぱり”最近特に痛い。でっぱっているんだよっ!

右も左も・・・。特に右、外反母趾

半世紀を過ぎてから“痛み”、“でっぱり”そして“巻き爪”の3

つがセットだ。でっぱりはさらに角度が増してきているよう

に感じる。その影響で巻き爪にも影響が・・・。

 祖母、父、私、娘までもが連鎖反応にように皆同じ足型を

している。幅広の靴しか履けない。きつくても、緩すぎても

いけない。スキーのブーツは、外反母趾用なんてないから装

具を入れるか、中を削るか。「それでも滑りたいんか~」と

聞かれれば、「滑りたいんです」。

 祖母の右足親指は、人差し指の背後に傾くようにあった。

子供の頃、それをみて「うわ~、痛そ~」なんて言っていた

ら、自分も「うわ~同じ足」だった。どうして変な所ばかり

似るのだろう。

 親指の曲がる方向に爪は伸び、そして爪は巻く。年齢が増

すにつれて爪は固くなると医師はいうが、私のは柔らかい。

爪そのものは強くできないらしい。

 一生、この“でっぱり”とつき合うしかないのかな~。